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1975〜
■小・中学校時代

1982〜
■高校時代

1985〜
■本田技研・南海時代

1988
■南海時代


1989〜 →
■ダイエー時代


1998〜
■阪神時代

2002〜
■近鉄時代


90年の転機<ダイエー>

オールスターに選ばれたのは92年がはじめて。実は、90年にも選ばれたんですけど、肩壊して辞退したんです。

やめときゃよかったんですけど。あわてて出ていったのかな、5勝してから壊したんですよ。5勝目浜松球場日ハム戦かなんかですよ。途中、投げてる時に、カーブを投げた時に、肩抜けたんですよね。肩飛んでしもたんですよ。3回くらいの時やったんですね。で、味方が、藤本さんがサイクル安打とか、打って点ゴンゴンとってくれて、で5回まで頑張れて。それでやめきゃよかったのに・・・。でもね。投げれたんですよ。バンバン三振とれてたんですよ。

野茂と三振争いしてた時で、三振率10.いや11.何%やったんですよ。野茂の次くらいやったんですよ。
5勝0敗で肩壊して休んでて、そっからボコボコですね。10敗くらいしたかな。全然勝てなくて。防御率も2点台くらいで。この時は、まっすぐはホンマ自信あったですね。ボール1個投げ分けるくらいの自信はあったんですよ。こん時肩壊してからおかしくなったんですね。微妙にズレはじめたんですよね。ほんで、その後、今度は膝をやったんですよね。膝やったのが91年くらいですね。今度は足が使えなくなって。91年もあんまりよくなかったんですよね。

やっと自分のペースになってきたのが92年からですかね。やっと自分のスタイルになってきたんすね。まっすぐカーブ、チェンジアップ・・・。僕あんまり執着がないから詳しく覚えてないんですよ。みんなはけっこう覚えてるじゃないですか、あの時があーでって、初登板の日とか初三振は誰でとか・・・。
まあ、92年から95年までは、その4年間がとりあえず規定投球いってる時期なんでね。

96年の悪循環<ダイエー>

あとは96年からもう低迷回路ですね僕の。野球、いつ終わるんかなっていう時期やったんですね。
まあこの時は、悪かった時は、とにかく気にしすぎてたですね。やる事なす事と結果を気にしすぎて、で状態も悪いのに、まあ肩もあまり良くなかったんですけど、「大丈夫か」って聞かれると、笑って「大丈夫です」って。そういう状態でいっても結果なんか出ないのに。打たれるようになってからは、今度は恐さを感じるようになって、恐さを感じるようになったら「様子見よう」ってコントロール意識しすぎて、やっぱ微妙な所はボール言われて、で苦しまぎれを打たれるっていう悪循環やった。ずっとね。それが96年頃からやったすね。その辺から王さんに信用なかったですね。全然なかったすね。下でがんばってもお呼びがなかった。

嬉しかったのはそういうしんどい時期でも、ファームで監督コーチ、あとはチームメイトがやりやすい環境をつくってくれたし、すごい大事にしてくれたし、やっぱ自分も腐った時があって、それは逆に申し訳ないなあって、そこまでチャンスくれて、そこまでアドバイスしてくれて・・・。これは(自分は)失礼やなって。